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ヨーロッパ統合について考える [5-1 大学留学体験]

大学留学体験続き

大学2年生の時にゼミナール形式の国際社会学の授業を取った。その授業は生徒が毎回、何かしらのテーマを選び、それについて研究してゼミで発表するというものだったが、例えば僕はヨーロッパ統合(EU)を選び、他の学生は中東紛争や旧ユーゴスラビア問題等を取り上げていた。

ヨーロッパ統合について僕が発表した際、今後のヨーロッパはどうなるのか、という議論になり、ある学生(教授ではなく)が「今後ヨーロッパにおいては国家の機能が上は”EU”、下は”地域”に移っていき、国家自体が持つ機能は限定的になっていくのではないか」と発言した。

European Union(EU)

     ↑ 機能/権限の移動(通貨等)

    国家

     ↓ 機能/権限の移動(教育等)

    地域 

97年当時、EUにおいては例えばスペインのバスク地方の様に、特定の文化や慣習、宗教や言語を持つ地域の自治獲得運動が大きくなりつつあり、国家から地域への権限委譲がイシューになっていた。一方で、EU推進とは通貨統合など国家の基本権限をEUに移す動きそのものであり、国家にしてみれば権限がどんどん失われていくという構図になっている。

僕はこの仮説にとても興味を持ち、オランダにおける僕の研究テーマもこれに近い形のものだった(僕の場合は、Cohesion PolicyというEUの一機能である再分配機能に焦点を当てたものだったが)。果たしてEUにおいて、EU-国家-地域、というのはいかなる関係を構築していくのだろうか。

この点に関して、エラスムス大学の後期に取った「EU as United States」という授業は面白い授業だった。EUを米国の様にUnited States、つまり連邦国家とみた場合どう見えるのかを研究した授業だった。

授業の中でとても興味深い論文を読んだのを今でも覚えている。これは有る意味、上記の僕の問いに、ストレートではないものの、答えたものだったからだ。論文の題名も筆者も忘れてしまったが、EUを”国民国家”という観点から分析している。現在の主要な政治単位となっている”国家”を”Nation State”とその論文では定義する。(既に10年近く前に読んだものの為、内容はうろ覚えなので、間違っていたらすみません。)

そして、”Nation”とはその国に住んでいる国民が感じる故郷とか、アイデンティティとか、帰属感覚の様なものを差している。こちらはどちらかと言うと思いや感情に近く、動的なものだ。一方で、”State”というのはその国の制度、つまり立法、司法、行政の三権の制度であり、その国の形であり、国民に対して提供するサービスである。”Nation”に比べると、”State”はかっちりした静的なものである。

その論文では、細かい部分は忘れてしまったが、いくつかの事例研究を基に大胆な仮説を出している。要は、将来ヨーロッパに住んでいる人々にとってEUは”State”的なもの(=制度を提供する単位)となり、一方で地域が”Nation”的なもの(=帰属意識を感じる単位)となり、残る国家というのは段々、機能を低下させていくのではないか、ということ。

あれから10年以上が経ったが実際はどうなのだろう?

論文や専門雑誌はその後、全く読んでいないので軽い感想程度になってしまうかもしれないが、EUでは無事に通貨統合を追え、現在はユーロが共通通貨となっている。メンバーは東欧を取り込み、更なる東へ拡大を志向している。更なる深化(国家からEUへの権限委譲の推進)か拡大(地理的拡大)かと言えば、どうもEUは縦への深化ではなく、横への拡大を目指している様に見える。

とりあえずEUへの権限強化は脇において、とにかく市場の拡大を目指しているのだろうか。そうであれば、何のことはない、論文の仮説は間違っていたのか、それともまだこれから起こることなのか。少なくとも現段階では、日本からヨーロッパを見る限りにおいては、国民国家は人々における”Nation State”で有り続けている気がする。

と、地域統合について考えることは面白くないですかね?4度目の留学ぐらいで今度は地域統合について勉強できれば面白いなあ。


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エラスムス大学の留学生 [5-1 大学留学体験]

大学留学体験続きです。)

高校時代にアメリカに留学した時にはその高校にた留学生は僕も含めて3人だけだったが、オランダにおいてはもっと多くの留学生が来ていた。ヨーロッパにおいては国をまたいだ大学の横の連携が強く(これもEU内のプログラムだったと記憶している)、交換留学プログラムが充実していた。しかも、留学先の大学で取った授業の単位が、母校での単位に比較的簡単に交換出来るため、留学したとしても卒業が遅れるわけでは全くないので、学生も強い抵抗がなく来れる様だ。

エラスムス大学は大きく2学期制に分かれていたが、上記事情がある為、1学期間だけ来る学生が圧倒的に多く、またヨーロッパの他の国からの留学生が9割近かった。僕の様なアジアからの学生は殆どいなかったし、また2学期間(結局、僕は日本での就職活動の関係で1.5学期で帰国してしまったが)もいる学生もゼロに近かった。留学生の出身国はスペイン、イタリア、フランス、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、ポルトガル、イギリス、スイス等々。さすがにアメリカからの学生はいなかった。

また、エラスムス大学においてはオランダ語の授業が大半で、4割程の授業は英語で行っていた。オランダの学生は自由に英語の授業を取ることが当然できるし、その逆で、留学生もオランダ語の授業を取ることもできた。僕はオランダ語は全くできなかったため、ほぼ全部の授業を英語のやつを取った(この前、書いた授業は全て英語の授業である)。留学生の中にはオランダ語もできるという稀な学生もいて、その様な学生は両方の授業を取っていた。

ヨーロッパの様々な人々と知り合いになりたいという僕にとってはこの様な機会は良かった。オランダ人だけでなく、他のヨーロッパの国々の人間とも知り合いになれたからだ。EUに関して言えば、国としては比較的、積極的にEUを推進しているオランダにおいても学生に話を聞くと、冷静な声が多かった。何が国にとってメリットとなるのか、ということだ。これは他国に学生においても共通していて、EUの事務局である欧州委員会や関連の機関では積極的に推し進めようとしているものの、結構、国民レベルでは冷ややかな反応をいずれの国でもしているというのは興味深かった。

※自転車と自転車の鍵。オランダでは自転車の盗難が多いので、オランダ人(もちろん僕ら留学生も)は自転車よりも自転車の鍵の方にお金を掛ける。

 


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再びロッテルダムへ [5-1 大学留学体験]

大学留学体験続きです。)

現在、オランダに来ている。

留学から帰ってきたのが1998年4月で、それ以来、オランダには行っていないから8年3ヶ月ぶりのオランダだ。スキポール空港はどうも建物の中がだいぶ、変わっていたみたいであまり懐かしさを感じなかったが、空港からアムステルダムまで電車で移動し、アムステルダム中央駅を降りた途端にすごく懐かしい感じがした。

駅前でせわしく走るトラム、くもの巣のように延びる運河、運河沿いに斜めに並んで立つ建物、縦に長く大きな窓、良く見ると汚い歩道等々。

僕が住んでいたのはロッテルダムだが、友人が遊びに来るたびにアムステルダムに通っていた為、この街のことは良く知っている。

当然、ロッテルダムにも行ってきて、昔住んでいたアパートエラスムス大学を見てきた。

アムステルダムからロッテルダムまでは電車で約1時間掛かる。
ロッテルダム駅では昔、良く乗っていたトラムの番号を思い出せず、仕方がないので駅員らしい人間に聞く。21番だと判明したが、どうも納得が行かないまま、21番のトラムに乗る。しかし、記憶にある風景が全く出てこない。昔、週末の度に食料品の買出しに行っていた市場が立つ広場や、Cube Houseと呼ばれる立方体を斜めに立たせたような形をした家々や、良く日常品の買い物をしたスーパーなどはどうも見当たらない。

おかしなーと思いつつ、気付いたら昔住んでいたアパートの近くに来ていた。
その瞬間はすぐには来ず、トラムの駅も一駅過ぎてから気付いた。あ、あの駅だ!と。慌てて次の駅で降りて、トラムが来た方向に戻りながら歩いた。

だんだん記憶が蘇ってくる。アムステルダムまで遊びに行った時に必ず降りた駅、友人が日本から遊びに来るたびに迎えに来ていた駅だ。駅は高台にある為、道路に出るには階段を降りる必要があるのだが、その階段もそのまま残っていた(当然か)。

僕が住んでいたアパートはここから約5分ぐらい行ったところだ。
どきどきしながら向かう。

階段を降りた後、道路を渡り、小さな商店が並ぶ間をくり貫かれた短いトンネルを抜ける。両側に4階建てぐらいのアパートが並ぶが、ここではない。まっすぐ歩いた後にすぐに右折する。道路の左側にはサッカーコートと広間、道路の正面、突き当たりに昔懐かしいアパートが見えた。

突き当たった先には垂直に道路が延びており、その道路の両脇は2階建ての低層アパートがずーっと続いている。窓がでかい。ドアもでかい。アパートによっては1階と2階の住民が違うので(僕の家もそうだった)、1階用のドアと2階用のドアが並んで立っている。懐かしさがこみ上げてきた。

でも肝心の僕が住んでいたアパートの番号を覚えてなかった。164だったか176だったか。ま、もうここまで来たらどうでも良いか。

近くにはこの前、書いたI-Houseがあり、そのI-Houseの近くにConcordiaと言うpool barがある。このConcordiaは留学生の溜まり場になっており、本当に良く通った。ビリヤードをやったり、ダーツをやったり、ただ話したり、飲んだり。

学校にも行って見た。夏休みだった為、全く人がいなかったが。良く通った校舎だったが、昔より随分、古ぼけて見えた。

8年も経つのだから仕方がないか。留学時は気付かなかったが、Rotterdam School of Management、ErasmusuのMBAプログラムの校舎もあった。学生を余り取らないのか、小さな校舎だった。今年も数名、日本人も参加しているのだろう。

8年というのは随分、時間が経った。残念ながら当時、交流のあった留学生、オランダ人の友人とは今はもう交信がないが、今回のシカゴ大学や、いつかどこかで会えたら嬉しいなと思う。


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ロッテルダムでの家 [5-1 大学留学体験]

大学留学体験続きです。)

シカゴで家探しをしていてふとロッテルダムの家を思い出したので、その記録を。

僕が通っていたErasmus University Rotterdam(EUR)はロッテルダムの東の方にあった。留学生の殆どは(多分、どの大学でも呼び方は同じ気がする)International House、略してI-Houseというところに住んでいた。場所は大学のすぐ側、歩いて10分くらいだったろうか。2人一組でルームシェアをすることになるが、寝室はそれぞれの分が確保されており、トイレ・バス・キッチン・ダイニングが共同という部屋だ。友達が住んでいた為、僕も良く遊びに行った。

その僕はというと、なぜだが分からないが、学校から割り当てられたのはそのI-Houseではなく、I-Houseよりも少し大学から離れた低層アパートだった。細部を見ると結構、ぼろぼろだったが、まあまあ悪くはない場所だった。庭もあり、ちっちゃなテラスも付いてた。

アパートから大学へは歩くと20分以上掛かったので、着いて1週間後に買った中古自転車で通った。これが冬になると本当に寒く、大学で暖まりたいので早く行こうと自転車のスピードをあげると、顔・体に当たる外気がもっと冷たくなるという、ジレンマの状況下、ほぼ毎日通っていた。

これから行くシカゴは、緯度はロッテルダムより下にあるのに、冬はロッテルダムよりももっと寒くなるらしい(確かに高校時代に僕が留学していた、シカゴのすぐ隣にあるアイオワ州の冬も相当、厳しかった…。冬に外を歩いたら耳が凍って、皮がぼろぼろと剥がれた記憶がある)。友人に聞くと、スキーのときに履くようなステテコみたいなインナーウェアーが通学の必需品との事。

何も考えずにとりあえず1着、ゲットした。


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エラスムス大学@ロッテルダム [5-1 大学留学体験]

大学留学体験続きです。)

色々なことはあったが何はともあれオランダ留学へ行く事は決まった。僕が行った大学はオランダ ロッテルダムにあるエラスムス大学(Erasmus University Rotterdam)というところ。オランダではライデン大学などが歴史があり、有名であるが、オランダにおけるエラスムス大学は「経済・商業」の大学として名が高いそうだ。オランダの人文学者エラスムスにちなんで名付けられた大学である。

確かにビジネススクールに行く時になって色々と調べると、エラスムス大学はヨーロッパのビジネススクールランキングに顔を出している。現に僕が留学していた時も3~4人の日本人の方がビジネススクールに来ていて、何度か一緒に食事をした記憶がある。確か農林中金の人とかがいたな。

大学はロッテルダムの外れにあった。僕は抽選で留学生寮からもれてしまい、学校近くのアパートに住んでいて、授業の有る日は自転車で通っていた。オランダ人は本当に自転車に良く乗っていて、専用の道路が至るところに走っている。道路には自動車道、自転車道、歩道の3種類があり、決められたところを歩いていないと物凄い形相で注意される。一度、自動車道を歩いていたら、本気で歩行者に怒られたことがあった。最初は何に怒っているのか良く分からなかったのだが、要は歩行者は歩道を歩け、という事らしい。

大学には意外にも日本学科があり、日本語や日本経済・日本の企業についての研究が盛んであった。僕も取ってみた経済の授業で盛んに教授が言っていたのは、「日本はすごい。第二次世界大戦の敗戦後、約50年間で世界で二番目の経済大国になった。」ということだ。その事がヨーロッパの人たちにとっては本当に不思議で、その(彼らから見ると奇跡に近い)発展の理由を研究する為に日本学科ができたのだそうだ。なるほど。言われてみれば奇跡的な復興かもしれない。

エラスムスでの最初の学期となる秋学期には僕が学びたかった国際政治・社会学的な観点から見たヨーロッパ統合の授業がなかった為、EUの経済的側面を分析するEconomics of European Union、先の日本経済の話が取り上げられた、アジアにおけるビジネスの法則・やり方を学ぶBusiness Strategies for Pacific Asia、最後に、留学直前に行ったP&Gでのインターンに触発されてMarketing Management、という3つの授業を取った。


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親父の言葉 [5-1 大学留学体験]

大学留学体験続きです。)

僕のオランダ留学に対してもう一人、難色を示した人間がいた。僕の親父だ。

「オランダ?何しに行くんだ、そんなとこに?」と、まさしくそのまま言ったかどうかは覚えていないが、その様なニュアンスの反応をした覚えが有る。その当時は「いいじゃん、息子が行きたいと言っているのだから行かせたって」っぐらいにしか僕は感じなかったが、今、振り返って考えてみると父親として当然の反応だと思う。

理由は3つある。1つは単純にお金の問題。留学時の生活費は学校から月10万円という十分過ぎる程の奨学金が出たが(正確には大学OB会)、交換留学の為、5年目の学費を日本の大学に払うことには代わりがない。なぜ1年、余分に払わなければいけないのだと。

2つ目は留学の目的。高校時代のアメリカ留学は確かにお前の為になったと思うが、また1年間、しかもオランダに何しに行くんだ、と。僕は本当に単純に、自分の専門である国際関係学の中で特にEuropean Unionに関する知識を深めたい、もっと知りたい、統合が進むヨーロッパで人々が何を考えているのかを肌で知りたい、という本当に単純な理由で留学をしたかった。そこには余り実利はない。英語がぺらぺらになって帰ってくるわけでもないし、卒業後に役立つ資格を得て帰ってくるわけでもない。1つ目の理由とも関係するが、そんなものに1年余分の学費を払う必要があるのか、と思ったに違いない。当然である。

3つ目は恐らく就職面であろう。僕が4年生で留学するということは帰ってまた4年生をやり、結局、5年目で卒業する事になる。高校生の時のアメリカ留学で既に1年、ダブっている僕は結局、卒業時に2浪したのと同じになってしまう。やはり若干、就職は厳しいだろうし、そこまでして行く価値はあるのか、と。

結局、ある晩、家族で夕ご飯を食べながら、この留学の話をし、僕からお願いし、行かせて貰う事ができた。裏では母親のおせっかいによる根回しがあったに違いないが。

結局、親父の予想通り、僕のオランダ留学は「良い経験」というぐらい経験に留まった。高校時代のアメリカ留学程、大きなインパクトを僕に対して与えなかった。もし、僕が高校時代に留学をしていなければ、恐らくもっと違った経験になっていたのではと考える人もいるかもしれないが、僕はそうは思わない。高校生と大学生の留学というのはやはり違うと思う。

だからと言って、オランダ留学を後悔しているかと言うと、そんな事は全くない。言葉通り「良い経験」だった。European Unionについて知識・理解を深めることができたし、視野も広がった。オランダ留学で僕が得たものはおそらくこの様なものだと思う。

人生はやはり回り道をした方が良い。特に若いときの回り道は人に深みを与える(と思う)。留学なんてたいそうなものでなくても良い。人と違う道を歩み、人と違ったものを見て、初めて他人の違いが理解でき、他人の違いを許容できる様になる。これは、大人として重要なことだと思う。


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オランダ留学と部活とどっちを取るか? [5-1 大学留学体験]

大学留学体験続きです。)

留学と部活、どっちを取るか?これが僕に与えられた命題だった。

留学は大学に入る前からの夢だった。統合が進みつつあるヨーロッパで一体、何が起きているのか肌身で感じてみたかった。只、このタイミングで留学すると、これまで3年間一緒にやってきた仲間を有る意味、裏切る事になる。4年目のシーズンは結局、一緒にプレーできない。同期が少ない中、一人抜けるのは部活のことを考えれば厳しい。また、留学すると卒業が1年遅れているので、既に高校留学で1年遅れている僕にとっては就職上、不利かもしれない。そこまでして行く意味が果たしてどれだけあるのか?

一方で部活も入学以来、一生懸命やってきた。週4日の朝連の為、自宅を朝5:30に出て、電車で日の出を見る、という生活を3年間。やっとチームが組織として機能しつつあり、実力も付きつつあり、もう少し頑張ればもう1つ上のリーグに上がれるというレベルまで来た。留学をせず、部活を続ければ4年生の時にそれができるかもしれない。また、留学をしなければ就職が遅れることもない。

正直、大学卒業が1年遅れる事は余り気に掛けていなかったが(その分、親には学費面で負担を掛けていたのだが)、僕自身の問題は、自分の昔からの夢を取るか、それとも3年間、喜怒哀楽を共にしてきた部活の仲間を取るか、という選択だった。辛かった。

誰にも相談できず、僕が信頼していた(既に卒業していた)部活の先輩2人に相談をした。偶然にも2人とも僕に同じ事を言った。「留学は今しかできないものだろうから、留学してこい。ラクロスは帰国してからまた出来る。」この言葉は僕に大きな影響を与え、僕は留学をしようと決意した。

そんな僕に部活の同期8人はとても優しく接してくれた。決して怒り狂ったりせずに。送別会をしてくれた時の事は良く覚えている。場所は大学がある駅のすぐ横にある居酒屋。同期の仲間8人と同じ学年のマネジャー2人が来てくれた。僕が留学するという事を全く感じさせず、殆ど話題にもせず、普通にくだらない話をし、そして、最後に一人ずつ僕にメッセージをくれた。その頃から僕は本当に申し訳なくて一人号泣し、皆のメッセージをきちんと聞けなかった。

この「申し訳ない」という気持ちは実は今でも消えない。時間が解決してくれるもんだと思っていたが、そういうものでもない様だ。これは、結局、彼らが4年生の時には上のリーグには行けなかったが、僕が帰国後にプレーした代、彼らから見れば1つ下の代でその偉業を達成してしまったという事にも関係している。自分の、自分の事だけを考えた、未勝手な行動を許して欲しい、とふとした時に思う。もちろん、彼らの前ではおくびにも出さないが。

1つの事を成し遂げようと思ったら犠牲にしなければならない事があるのかもしれない。それ自体は正しい言葉かもしれないが、決断に至るまでの思考・感情は辛いものだ。大学自体にこの様な辛い経験をしているにも拘わらず、僕は社会人になってからも同じ様な事を数度やっている。それを考えると、自分が余り過去から学んでいないのが分かり、少し悲しくなる。


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オランダ留学に向けて [5-1 大学留学体験]

(これは大学留学体験続きです。)

留学時期は色々と悩んだ結果、大学3年生の時(=4年間で卒業可能)ではなく、4年生の時にすることにした(=大学に5年通うことを意味する)。受ける前から人に相談をしたり、話をしたりすることが嫌だったので、家族には話したが、大学の友人には誰にも言わずに学校の試験を受けた。試験の内容は、確かTOEFLの点数と小論文と面接だったと思う。時期は留学前の冬だったので確か3年生の冬頃。

結局、英語圏であるアメリカ、イギリス、オーストラリアの募集が殺到し、オランダの大学を希望したのは4人。受かるのは2人。面接の結果、受かる可能性はそのままの確率で5分5分ぐらいだと踏んでいた。

ある日のこと、当時所属していた部活の仲間と学食で昼飯を食べていると、後輩の一人がものすごい勢いで走ってきた。

「先輩の名前が交換留学生として掲示板に出ているんですけど、まじですか?」

周りにいた同期の仲間達がびっくりした。

通っていた大学は規模が小さいので、同姓同名なんている訳がない。明らかに僕が受かったようだった。確認の為、自分で掲示板で名前を見に行った。確かに僕の名前が書いてあった。

その時の気持ちは「受かっちゃったか~」というもの。前から行きたかった為、留学に受かった事は嬉しかったが、一方で辛い事情があった。それは3年間一緒にやってきた部活の仲間達に何て言うかだった。


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オランダへ [5-1 大学留学体験]

オランダに行こうというのは大学に入った時点で決めていたわけではない。只、大学受験の頃から大学でも留学をしたいと漠然と思っていた。なので、大学を選ぶ際の基準の一つは交換留学制度があるかないかということ。結局、その様な制度がある大学に入った。

大学では国際関係論を学びたかった。高校時代に抱いていた将来の夢は宇宙飛行士か国際機関で働くこと。結局、宇宙飛行士になる為には他の人以上に健康であること(かぜを引いたことがないくらい健康でないといけないらしい)、とても時間が掛かること(宇宙物理や航空学等で博士号を取った上で国の研究機関や自衛隊に入って順番を待つ)ということが分かり、国際機関で働くことを目標とした。その為、国際関係論の専攻がある大学を選んだ。一国の為ではなく、世界の為に働くんだ、と青臭く夢見ていた。

大学の1・2年は一般教養だったが、2年生の時に頑張って国際社会学のゼミを取った。そこで、世界の民族・宗教問題を概観した。とても面白かった。特に人が感じるアイデンティティに興味を持った。地域ではヨーロッパにとても興味を持った。国境を越えて地域統合をしようとしているヨーロッパにおいて、人々は何を考えているのだろう?自分を何人と考えているのだろう?何の為に地域統合をするのだろう?これらの疑問が直接的に留学への動機に繋がった。

僕の行っていた大学では在学当時、世界に約20校の提携大学があり、毎年最大2名がそれぞれの大学へ交換留学に行っていた。従って最大約40名。もちろん、志望者がいない大学や、志望者が多すぎて人数が絞られる大学もあるので、必ずしも40名ではなく、また希望者が全員行けるわけでもない。人気はやはり英語圏でアメリカ、イギリス、オーストラリアといったところ。僕が興味を持ったヨーロッパでは、イギリス、フランス、オランダ、ドイツとあとスペインとかもあったかな、といった国々に提携大学があった。但し、その内、英語で授業を行うのはイギリスとオランダのみ。European Unionという観点から見るとイギリスはEU慎重派でオランダはEU積極派だった為、迷わずオランダに決めた。高校の時はアメリカに行っていた為、今度はアメリカ以外の国に行きたかったというのも大きかった。

これで「また留学したいなー」という漠然とした思いが、「オランダに留学しよう!」という決意に変わった。でも、これからが大変だった。


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