So-net無料ブログ作成
4-1 高校留学体験 ブログトップ

Sibley, Iowa [4-1 高校留学体験]

今日は昨日までとは打って変わってゆっくりした一日を過ごしている。

土日だとお役所関係は閉まっているし、お店も営業時間が短い為、どのみち、そんなに動けない。アパートの目の前の公園では朝早くからマラソン大会が行われており、歓声やら音楽やらで騒がしい。28階から見下ろすランナーはとても小さく見えて、前日、買出ししたインスタントコーヒーを飲みながら、ぼーっと走る人間を眺めていると少しずつ時間が過ぎていく。

アメリカの食事は脂っこいし、量が多いし、味が単調・淡白、という三重苦だが、調味料を揃えて自分で味付けをすれば、一つ一つの食材はおいしいので、結構いける事が分かった。

特にパンがうまい。日本のパンの様にパサパサしておらず、しっとりしていて、柔らかくて、味も良い。近くの食料スーパーで普通に2種類のパンを買ったが、どちらも美味しく、はまっている。毎日、朝食はレタス・ハム・チーズとジャムを組み合わせてサンドイッチを作っては食べている。

高校時代はアイオワ州のSibleyという街に留学していた。人口3000人の小さな町だ。そこでホームステイをしたD家の食事は、今だから言えるけど、ひどかった。ハンバーガー、ミートソーススパゲッティ、ラザニア、ホットドッグ、ハンバーグ、思いつく限りのアメリカ飯のオンパレード&使いまわし。種類で言ったら多分10種類ぐらいの料理が繰り返し出てくる感じだった。アメリカの田舎町の一般家庭の家の食事はそうなんだろうか?

当時は別に気にせず、成長期でもあったのでもりもり食べていたが、今、考えると母親は手抜きをしていたのか、それとも単純に料理を作る方法を知らないのか、もしくは一般的な家庭料理がそうなのか。いずれにせよ良く分からじ。一方でお菓子についてはケーキとかクッキーとかを良く作ってくれたのを覚えている。当時のMomが作ってくれるクッキーは、日本で言うとカントリーマムのクッキーのようでとっても美味しかった。まあ、田舎にいるD家のMomは、カントリーマム(Country Mom)そのものだが。

そのD家とは帰国後、数年は手紙のやり取りや電話もしていたけれど、僕が大学に入ると交信も途絶えてしまった。彼らとは91年8月にSioux Cityの飛行場でさよならをしてから約15年間、会っていない。同じ時期にYFUでアメリカ留学をしていた日本人の友達は15年以上経った今でも手紙のやり取りをしているという人も多く、数年前に出席した友人の結婚式にホストファミリーが来ていた事もあった。ホストファミリーとの関係が続いている人は続いているが、僕の場合は途絶えてしまった。

そんなD家に手紙を書いてみた。出発直前に実家に行った時に当時のD家の住所を探して持ってきた。15年経った今もそこに住んでいるか分からないが、とりあえずのトライ。もし会うことになっても、彼らがいるIowa州と僕のいるシカゴは隣同士なので、多分、2日間、車でドライブすれば着く距離だろう。タイミング会えば、もう一度、あの家に行ってみたいと思っている。

まずは返事が返ってくるかどうか。どきどきしながら待つことにしよう。

高校留学体験の前回分はこちら


言語の壁 [4-1 高校留学体験]

高校留学体験続きです。)

高校時代に留学した時、英語には本当に苦労した。

一番、ショックだったのはホストファミリーの家に着いて、2~3日経った時、知らない人から電話を貰った。家に着いて2~3日しか経っていない為、ホストファミリー以外に知り合いもおらず、電話が掛かってくるわけがないのだが、後から聞くと、その前の年にその町に来ていた日本人留学生をホームステイさせていた家族の子供(女子高生)から電話が来たのだ。

電話の声というのは対面で話しているよりも分かりづらくというのは皆、経験があると思うが、この時、彼女が言っていることが、はっきり言って全く分からなかった。理解度ゼロ。悲しいほどに分からない。(彼女は彼女が参加しているコーラスグループに興味はないか、と言っていたらしい。)

そんな感じで家族とのコミュニケーションも全然だめ。もしかしたら(僕が行った高校1年生の時ではなく)高校3年生ぐらいで留学していれば、もう少しは話せたのかもしれない。友人も含め、家族が話している事が大体、分かるようになるまで結局3ヶ月程掛かった。これが約半年経つと、皆が日常会話で話している言葉はほぼ理解出来るようになる。ちょうど英語で夢を見たのも半年を過ぎてからだった。

約1年ぐらい経つと、聞くほうはほぼ問題なく、話すほうも結構、自分の意見を言える様になってくる。なので語学という意味では、1年間という期間はちょうどこれから、というときに帰ってきてしまうので、本当に語学を極めたい場合は、恐らく2年は必要だと思う。

あと、個人の英語の上達は個人の性格にも左右される、と僕は感じた。僕はどちらかと言うと、余り自分の話を自分から話す方ではないのだが、これがおしゃべり好きであると、自分から話したい為、自然と口数が増え、練習量が増える為、話す方の上達は早い気がする。


もう一つの家族@アメリカ [4-1 高校留学体験]

高校留学体験続きです。)

ホストファミリーは僕のアメリカでのもう1つの家族だ。YFUでは繰り返し、ホストファミリーの中で留学生はお客さんではなく、家族の一員なんだ、という意識を教えられる。従って、家事の手伝いもするし、お小遣いも貰うし、言いたい事ははっきり言わなくてはいけないし、けんかもする。ホストファザーの事はDadと呼ぶし、ホストマザーの事はMomと呼ぶ。弟、妹は名前で呼び合う。別に○○さんと呼ぶ事はない。

DadはSibleyにある弁護士事務所に勤める弁護士でとても優しかった。Momは家でカリグラフィをする仕事をしていた。弟は1つ下で当時、中学3年生、妹は確か5つ下で小学校5年生。二人ともとてもおとなしくて、どちらかというと寡黙なタイプだった。

まず最初に家に着いてびっくりしたのは自分の部屋が用意されていたこと。当時、日本の家では自分の部屋なんて無かったのに。しかもその広さときたら多分10畳以上はあった。家は2階建てだったが、1階が半分地下にもぐっていた。更に驚いたのは家の前の庭にバレーボールコートがあった事。着いた当時は夏休みだったし、会話のできない僕としては運動をしていたほうが話さなくて済むというのもあって学校が始まる前までは良くDadと弟・妹とここでバレーボールをやった。また、家の隣は車2台は入るガレージになっていて、その前にバスケットゴールが置いてあった為、バスケもやりたい放題だった。

着いた時にショックだったのは本当に英語が分からなかった事。それまで小学校・中学校通して5~6年は英会話をアメリカ人から教わっていた為、何とかなる高をくくっていたけど、まったくだめだった。DadとMomや弟・妹が本当に何を話しているのかが分からないのだ。家族とのコミュニケーションも簡単な言葉からしか話せなかった。


留学準備 [4-1 高校留学体験]

高校留学体験続きです。)

YFUからの合格通知が届いてからアメリカ出発までの約半年は全てのことがあっという間だった。受験勉強追い込み、中学卒業、高校入学、新しい環境への適応。これらの一連の進学作業に加えて、YFU開催のオリエンテーションへの参加、英語の勉強、等々。

YFUのオリエンテーションは確か2回あった。1回目は埼玉県で、2回目は東京の代々木にあるオリンピックセンターで。特に1回目のオリエンテーションはすごく印象に残っている。ほぼ丸2日間ほど掛けて行うのだが、そこにはその夏に留学する高校生約30名程と、過去に留学して帰ってきたリターニー(大体が大学生で、僕らからすれば気軽に話せるお兄さん・お姉さん、YFUでは帰国生=リターニーと呼ぶ)の方々が10名程度。後はYFUの関係者である”地区委員”と呼ばれるおじさん・おばさんがいた。

これって今思うと、本当にしっかりした制度だと思うのだが、このオリエンテーションは全て地区委員・リターニーのボランティアで成り立っており、リターニーには交通費&宿泊代しか支給されない。でも毎回、色々な地域で開催されるオリエンテーションには誰かしらのリターニーが集まってくれる。この様な組織が全国規模であるのだ。これから行く学生にとっては、経験者からみっちりと聞く話ほど役に立つものはない。

オリエンテーションではもちろんYFUの生い立ちや考え方などがセミナー形式やビデオ学習によって行われるが、一番の肝はグループディスカッションである。高校生は5~6名が1グループとなり、各グループにはリターニーが1~2名付く。そのリターニーが議論のまとめ役となり、グループでの討議が行われていくのだが、これが2日間でいくつかのテーマに関して約5~6時間掛けて行われる。これは本当に勉強になる。

取り上げるテーマは様々で、例えばホストファミリーとの接し方、留学中に心掛けるべきこと(日本人の代表としていくという意識ね)、やってはいけない(やらない方が良い)こと等々。肝心な点は、一方的に諭すのではなく、双方向の議論を元に理解させる、ということ。例えば「留学中は未成年なんだからお酒は飲んではだめ!」と一言伝えるよりか、「お酒を飲んだ時にホストファミリーはどう思うか?」「誰に迷惑が掛かるのか」を考えさせたり、その上で、「留学先のパーティーで、仲の良い友達からお酒を勧められたらどの様に対応するか」というケースについて意見交換をする。これはねー、確かに考えさせられた。リターニーは一通り、これらの問題を自分なりに対処しているので、そういう話は本当に参考になった。

もちろんオリエンテーションに行くと、横のつながりも多くできる。他の地域の高校生と友達になれるのだ。オリエンテーションは泊まりなのだが、やはり夜は皆、興奮して眠れず、夜な夜なロビーに集まって話していた。

 この様な教育というか意識改革って恐らくどの年代で留学するにしても必要なんだろうと思うが、僕の場合は、それが高校留学の前に出来たというのはラッキーだったと思う。


留学決定 [4-1 高校留学体験]

高校留学体験続きです。)

YFUから結果通知が来たのは確か1月か2月くらいだったと思う。中学校卒業間際だった。

その日、学校から家に帰った僕は郵便受けにでっかい封筒が入っているのを見つける。YFUからだ!もし不合格であればでっかい必要は全くないよなと一人、自分に言い聞かせつつ、中身を空けずにマンション3階の我が家まで階段を一気に駆け上がる。誰もいない家のドアを鍵で開け、家の中に飛び込んでかばんを置いて、急いでびりびりと封筒を破る。

合格!その瞬間、僕は一人、家の居間でガッツポーズをし、大声でやったーと叫ぶ。初めは信じられない気持ちだったが、じわじわと喜びが体の先端まで浸み込んでいって体全体で喜びを感じることができた。冷静に考えるとあの英語の面接の出来て本当に良く受かったと思う。多分、僕の留学への思いを買ってくれたのか?英語は後の勉強で何とでもなるということか?何はともあれ受かった!夏にはアメリカに一人で行くんだって思うとわくわくしてきた。

その日の夜はもちろん家族でもその話で持ちきりだった。次の日の学校でクラスメートに話すと反応は様々。興味を持つ人もいるけど、余り興味を持たない人が大半だった。まあ、話は聞いてきたり、冗談を言ってきたりするやつはいるけど、自分も行きたいからどうやって申し込んだのかとかYFUについてもっと教えて、って人はいなかった。僕は意外だったが、結構そういうものなのかもしれない。現に高校でも交換留学した人は一学年500人中、4名。最後の3年生の年にはその内の3名が一緒のクラスという偶然があったが。

留学が決定したのはその年の1月か2月。出発は8月。その半年間の間に英語の勉強や日本についての理解を深めること等は自分で行うが、YFU開催のオリエンテーションが確か2回ほど合ったと思う。これがYFUがYFUたる由縁であり、僕がYFUを進める理由でもある。それらのプログラムに関しては次回に。

 

 


絶対、無理 [4-1 高校留学体験]

 (高校留学体験前回の続きです。)

留学したいと思ってもすぐに行けるわけでもない。僕の場合はぴらっと母親からYouth For Understanding(略してYFU)という交換留学プログラムのパンフレットを渡された記憶がある。恐るべし、我が母親。今思うと、全ては親の手の平で踊っていた感がちょっとあるが、まあそれは置いておいて、とにかくこのプログラムに申しこんでみることにした。時期的には中学校3年の春頃だったと思う。

高校生の交換留学プログラムについては別カテゴリーで詳しく書こうと思っているが、このYFUというのは一言で言えば、「高校生の交換留学プログラムを運営するInternational NGO」。世界各国に拠点があり、毎年恐らく2000~3000の世界の高校生がこのプログラムを使って留学しているし、日本単独でも毎年500名ぐらいは留学をしている。募集時の対象は中学校3年生から高校2年生まで。大抵の高校生は1年生の時に試験を受けて、2年生で留学するケースが多い。

申し込んでももちろん全員が行ける訳ではなく、英語の試験や小論文や面接などがある。今でもよく覚えているのだが、僕の場合は1次は通ったものの、2次試験である面接が中学の運動会と重なり、ほぼ諦めかけていたところ、またしても母親からはっぱを掛けられ、ダメモトでYFUの事務局に手紙を書いてみた。そうしたら何と僕だけ特別に違う日に面接をしてくれたのだ!

確か面接は冬だったと思う。場所は当時住んでいた埼玉県のある施設だった。親同伴の面接で、最初の日本語のパートは良かったのだが、その後、英語での面接に変わった時点でぼろぼろだった。何を聞かれているのか、何を答えているのか自分でもさっぱり分からなかった。中学校で3年間も英語を習っているのに、英会話スクールに週2、3日、往復1時間も掛けて通っているのに全くだめ。自分の英語力のなさに本当にショックを受けた。

でも最後の質問は良く覚えている。

「What do you want to do as an exchange student of YFU?」

僕は拙い英語でこう答えた。

「I want to make friends all over the world !」

でも総じて面接の結果は思わしくなく、僕は本当にショックを受けた。絶対に受からないと思った。

 


15歳で外国に行きたいと思った理由 [4-1 高校留学体験]

15歳の時になぜ一人で1年間も外国に行きたい、住みたいと思うに至ったのかは我ながら不思議だ。

それまでの海外経験と言えば、小学校3~4年の時に家族の転勤で台湾の台北に1年半ほど住んだこと、小学校6年生の時に友達の家族と約2週間アメリカの西海岸~ラスベガスをバスで旅したこと、ぐらい。特にアメリカに憧れていたわけでもないし、英語が話したいと思っていたわけでもない。

当時の僕の思いというか、留学に対するモチベーションというのは何だったかと言うと、今でも結構、鮮烈に覚えているのだが、1つは日本にいるのがとても嫌になっていたことだ。留学したいなと思ったのは中学校3年の時だったので、まさに高校受験の真っ最中で、しかも僕のいた中学校はかなり校則が厳しく、勉強ときちきちした生活に飽き飽きしていた。尾崎豊を聞き、「黄色い髪」という本を読みながら、「受験勉強をしっかりして有名高校、大学に入る」という用意されたレールの上を走るのとは違う生き方に憧れていた。こんな日本から離れたいと思っていた。それが1つ。

もう1つは単純に世界中の人と友達になりたいと思ったこと。世界は広い、日本だけでなく、違う国の人とも友達になりたいと思っていた。その手段として留学があった。

従って、行き先はどこでも良かった。只、僕が申し込んだ高校生交換留学プログラムでは、当時、留学生の大半がアメリカに行くことになっていた為、自然とアメリカを選んだ。

じゃー、なぜこの様な思いと留学が結びついたのか?

僕の幼少体験で留学と関係していると思われることは上述した小学生の頃の台北・アメリカでの体験と、もう1つは小学5~6年生ぐらいから母親に言われて習っていた英会話があると思う。英会話は当時、住んでいた場所から電車で30分も掛けて通っていた為、ちょっとした出来事だったと思う。当時、小学生で英会話を習っているやつもいなかったし、しかもわざわざ電車で通う距離に行くやつもいないだろう。これは明らかに親の教育方針である。

この海外体験と英会話という2つの経験が、僕の思いを留学に結びつかせたのか、またそもそも2つの経験がその様な思いを僕に抱かせるようになったのか、その因果関係は良く分からない。但し、この2つの経験が僕の「留学する」という意思決定に大きな役割を果たしたことは間違いない。

これは今後、子供を留学させたい、でも強制は嫌だから自発的にそう思わせるようにしたい、と考えている親がいるとしたら、ちょっとしたヒントになると思う。まずは海外に行って日本以外の世界を垣間見せること、で、もう1つは外国語を有る程度、本格的に習わせ、自分でコミュニケーションが取れるという自信を持たせることだろう。

とは言っても、僕の場合はもう15年ぐらい前の話だからもう環境は変わっているのかもしれない。そもそも①海外に行かせる、②外国語を習わせる、ということであれば、どの家庭でも多かれ少なかれやっているのかな。では、どういう制度を使って留学をさせたら良いのかは、こちら


最初のアメリカ留学 [4-1 高校留学体験]

1990年の8月から翌年7月までの1年間、アメリカ アイオワ州のSibleyという小さな町で過ごした。高校1年の夏からだ。高校へはその年の4月に入学したものの、1学期間しかなかった為、親しい友達もできず、部活も真剣にやらず、今考えれば中途半端な4ヶ月間だった。

アメリカへの出発は確か8月頭。その日は台風が近づいていた為、飛行機が飛ぶかどうかを、留学生の集合場所である箱崎ターミナルで心配しながら待っていた(結局、問題なかったが)。箱崎ではその日出発する高校生約100人(?)ぐらいを集めて簡単なオリエンテーションが開かれ、その後、留学生はまとめて1台のバスで、家族は各々の車で成田まで向かった。

成田では最後に家族で食事をした。お昼ご飯だった。祖父母も神奈川から来てくれたことを覚えている。不思議と怖さはなかった。興奮と緊張をしていたのを覚えている。そのせいか出発間際のことは余り覚えていない。

Sibleyというのは本当に小さな町だった為、何回か乗り継ぎをした記憶がある。その内、1箇所では現地に一泊した。最初は100名近い留学生が一斉に成田から出る為、余り寂しさはない。只、乗り継ぎの度に行き先が狭まってくる為、どんどん人数が減っていく。これが結構、緊張を高める。最後の飛行機では結局、僕と女の子Tちゃん(と言っても1歳上だったと思うが)の二人になってしまっていた。

そして最終目的地であるSioux Cityに着いた。僕のホストファミリーのD家全員(父、母、弟、妹)が迎えに来てくれていた。Tちゃんとは手紙を書きあうことを誓って空港で分かれた。その後、それは1年間の留学時の僕の楽しみになった。Sibley はSioux Cityから車で3~4時間は掛かったと思う。その日から僕のアメリカ生活が始まった。


4-1 高校留学体験 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。